大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 平成10年(行ツ)81号 判決

上告人

石川島播磨重工業株式会社

右代表者代表取締役

武井俊文

右訴訟代理人弁護士

近藤惠嗣

被上告人

日本ロール製造株式会社

右代表者代表取締役

青木要助

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人近藤惠嗣の上告理由について

一  本件は、特許権者である被上告人が当該特許についてされた無効審決の取消しを請求するものであるところ、原審の適法に確定した事実関係及び本件訴訟の経緯の概要は、次のとおりである。

1  被上告人は、名称を「六本ロールカレンダーの構造及び使用方法」とする特許第一七三五一七九号発明(以下「本件発明」という。)の特許権者である。本件発明に係る特許(以下「本件特許」という。)について、特許出願の願書に添付された明細書(以下「本件明細書」という。)の特許請求の範囲第一項及び第二項の記載は、別紙一のとおりである。

2  上告人は、平成五年九月一四日、特許庁に対し、本件特許を無効にすることについて審判を請求し、平成五年審判第一八〇四一号事件として審理された結果、平成七年一二月二二日、本件明細書の特許請求の範囲第一項及び第二項に記載された発明に係る特許を無効にすべき旨の審決(以下「本件無効審決」という。)がされた。被上告人は、平成八年二月八日、本件無効審決の取消しを求める本件訴訟を提起した。被上告人は、平成八年一一月一三日、本件明細書の特許請求の範囲の記載等を訂正することについて審判を請求し、平成八年審判第一九二六六号事件として審理された結果、本件訴訟の原審口頭弁論終結の前である平成九年一月八日、右訂正をすべき旨の審決(以下「本件訂正審決」という。)がされ、確定した。本件訂正審決により、本件明細書の特許請求の範囲第一項及び第二項の記載は、別紙二のとおりに訂正された。

二 特許を無効にすべき旨の審決(以下「無効審決」という。)の取消しを求める訴訟の係属中に、当該特許権について、特許出願の願書に添付された明細書の特許請求の範囲が、明細書を訂正すべき旨の審決(以下「訂正審決」という。)により減縮され、訂正審決が確定した場合には、当該無効審決を取り消さなければならないものと解するのが相当である。その理由は、次のとおりである。

審決に対する訴え(以下「審決取消訴訟」という。)において、審判の手続で審理判断されなかった公知事実との対比における無効原因は審決を違法とし又はこれを適法とする理由として主張することができないことは、当審の判例とするところである(最高裁昭和四二年(行ツ)第二八号同五一年三月一〇日大法廷判決・民集三〇巻二号七九頁)。明細書の特許請求の範囲が訂正審決により減縮された場合には、減縮後の特許請求の範囲に新たな要件が付加されているから、通常の場合、訂正前の明細書に基づく発明について対比された公知事実のみならず、その他の公知事実との対比を行わなければ、右発明が特許を受けることができるかどうかの判断をすることができない。そして、このような審理判断を、特許庁における審判の手続を経ることなく、審決取消訴訟の係属する裁判所において第一次的に行うことはできないと解すべきであるから、訂正後の明細書に基づく発明が特許を受けることができるかどうかは、当該特許についてされた無効審決を取り消した上、改めてまず特許庁における審判の手続によってこれを審理判断すべきものである。

もっとも、訂正後の明細書に基づく発明が無効審決において対比されたのと同一の公知事実により無効とされるべき場合があり得ないではないが、特許法は、一二三条一項八号において、一二六条四項に違反して訂正審決がされたことが特許の無効原因となる旨を規定するから、右のような場合には、これを理由として改めて特許の無効の審判によりこれを無効とすることが予定されているというべきである。

三  そうすると、本件訂正審決による本件明細書の特許請求の範囲の前記訂正のうち、ロール軸交叉装置及びロール間隙調整装置が所定のロールに分けて備えられる構成が付加された点並びに各ロール周速及び各ロール間のバンクの回転についての構成が付加された点は、特許請求の範囲の減縮に当たるものであるから、本件無効審決はこれを取り消すべきものである。

したがって、本件無効審決を取り消した原審の判断は、結論において是認することができる。論旨は採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大出峻郎 裁判官小野幹雄 裁判官遠藤光男 裁判官井嶋一友 裁判官藤井正雄)

別紙一・二〈省略〉

上告代理人近藤惠嗣の上告理由

はじめに

本件は、平成五年改正特許法において、無効審判係属中の訂正審判の請求が禁止され、一方、訂正審判については、訂正異議、訂正無効審判の制度が廃止されるなどの改正が行われたことと密接に関連する問題を提起している。同改正は、無効審判の迅速化を図り、無効審判請求人と特許権者との間の利益の均衡を図ったものであると考えることができるが、本件において、特許権者たる被上告人は、無効審判において訂正請求を行わず、無効審決が下された後に、別途、訂正審判を請求したものである。本件上告は、このような場合に、訂正後の権利について、いかなる場合に再度の審判手続を特許権者に保障し、いかなる場合に無効審判請求人の求める早期の紛争解決を優先すべきかについて、御庁の判断を求めるものであるが、本件においては、再度の審判手続を特許権者に保障する必要はなく、請求を棄却して、無効審決を維持すべきであった。

しかるに、原判決は、右の点についての判断を誤り、無効審決を取り消した。したがって、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな特許法解釈の誤りがある。また、この点に関連して、原判決には、理由不備の違法もある。以下、上告理由をさらに具体的に述べる。

一 原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな重要な事項について、理由不備の違法がある。

原判決の判決理由中、一六ページ末尾から五行目以下において、原判決は、次のように述べている。

「このように、訂正後の本件第一、第二発明が、訂正前の構成のほかに、上記の構成を付加し、これにより、訂正前の本件第一、第二発明とは異なる効果を奏するものである以上、これに対して、審決が訂正前の本件第一、第二発明についてした判断と同一の判断によって、発明が容易に推考されるものとすることはできない。」

ところで、原審においては、無効審決が訂正前の特許請求の範囲に基づいて発明の要旨認定をしたことが、結果として、事実認定の誤りに該当することに争いはなかった。しかし、この誤りが、審決の結論に影響を及ぼすべき誤りであるか否かについて争いがあった。

一方、前記引用部分において、「審決が訂正前の本件第一、第二発明についてした判断」とは、原判決添付の審決書写しの一六ページに要約されているとおり、「本件第一および第二発明は、甲第一号証及び甲第二号証に記載されたものに基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと認められるから、本件特許は、特許法第二九条第二項の規定に違反してなされたものであ(る)」という判断を意味する。そこで、上告人は、原審において、本件訂正によって付加された構成は、当業者に周知の構成であり、それによってもたらされる効果も周知の範囲内のものであるから、訂正後の本件第一、第二発明も、甲第一号証(原審甲第六号証)及び甲第二号証(原審甲第七号証)(以下、両者を総称して「本件公知刊行物」という。)に記載された発明に基づいて容易に発明をすることができたことを主張した。上告人の主張は原判決に摘示されているとおりであるが、これを要約すれば、次のとおりである。

1 本件訂正によって付加された構成およびその効果は、結局のところ、「各ロール周速を第一ロールR1から順次後方に行くに従って速くしたこと」という点に集約され、それ以外の構成及びその効果は、この点に必然的に伴うものにすぎない。

2 本件発明の技術分野において、ロールの配置にかかわらず、前のロールより次のロールの方が周速が速いことが望ましいことは、古くから経験的に知られていることであるから、当業者に周知であった。この点については、原審甲第六号証九六ページ左欄下から一一行目以下に記載されている。

3 本件訂正は、訂正前の本件第一、第二発明において、当業者にとって望ましいことが自明な実施形態を限定して、訂正後の本件第一、第二発明としたものにすぎないから、本件公知刊行物に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたとの判断は、訂正後の本件第一、第二発明についても正当である。したがって、本件無効審決を取り消す必要はない。

ところが、原判決は、右の上告人の主張に対して、何ら具体的な理由を示すことなく、前記引用のとおりの判断をしたものであるから、理由不備の違法がある。

ところで、原判決が本件争点について実質的な理由を示していないことは、原判決自体の説示から認められるところである。すなわち、原判決が上告人の主張に言及しているのは、原判決一七ページ六行目以下であるが、そこで上告人の主張に応えて述べられている事項は次のとおりである。

「この被告主張の各点は、いずれも本件訂正審判において正に判断されるべき事項であったのであり、仮に被告主張の点が認められるとすれば、当然ながら、本件訂正は認容されるべきではなかったのである。ところが、本件訂正審決(引用略)において、被告主張の容易推考性についての審理が充分にされた形跡は窺われないのであって、被告主張の紛争の解決の遅れる結果が生ずる第一の原因は、ここにあるのである。」

右説示は、後述するとおり、原判決の法令解釈の誤りをも示しているが、その点を措くとしても、右説示が、原判決中、前記引用に係る判断の理由となっていないことは明らかである。そして、原判決は、他に理由を示していない。

二 原判決には、結論に影響を及ぼすことが明らかな法令解釈の誤りまたは理由齟齬がある。

原判決は、その末尾(一八ページ)において、次のように述べている。

「なお、付言するに、法が訂正審判の請求を認容するための要件の一つとして明定している『訂正後における特許請求の範囲に記載されている事項により構成される発明が特許出願の際独立して特許を受けることができるものでなければならない』(平成五年法律第二六号による改正前の特許法一二六条三項)との要件につき、この『要件の審理は一応のものでよく、そこでは厳密な意味において特許無効と均等の審理が尽くされる必要がない』(昭和五四年審判第一四七二三号事件の昭和五六年三月二六日付け訂正異議の決定、参考審判決集(六)三六一ページ)とする見解は、法の規定の趣旨に沿わない独自の見解であって、上記被告主張の点が問われるような場合にまで、この見解に従うべきいわれはない。」

原判決の右説示は、暗に、訂正後の本件第一、第二発明が「特許出願の際独立して特許を受けることができる」との要件を充たしていないことを認定している。したがって、原判決は、この認定に従って、無効審決を維持し、審決取消請求を棄却すべきであった。それにもかかわらず、原判決が無効審決を取り消したことは、原判決が法令の解釈を誤ったか、原判決に理由齟齬があるかのいずれかである。

特許庁の審決に対する取消訴訟においては、審判手続において審理判断されなかった公知事実との対比における無効原因は審理の対象とならない(御庁大法廷昭和五一年三月一〇日判決、民集三〇巻二号七九頁)。しかし、本件において上告人が主張したのは、まさに、本件公知刊行物記載の発明に基づく無効原因である。上告人は、訂正後の本件第一、第二発明が無効であることの理由として、本件公知刊行物記載の発明に基づく容易推考を主張し、この主張を補強するものとして、当業者に周知の技術事項を付加したが、上告人の付加した事項は、独立した別個の無効原因ではない。したがって、これは、原審で判断できる事項であると同時に、原審が判断しなければならない事項である。このことは、以下に述べるとおり、審決取消訴訟において適用される行政事件訴訟法三三条の法意に照らしても明らかである。

もし、仮に、原判決が確定すると、行政事件訴訟法三三条により、「訂正後の本件第一、第二発明は、本件公知刊行物記載の発明に基づいて当業者が容易に発明できたとは言えない」との判断は、特許庁を拘束する。この拘束力は、主たる無効原因が本件公知刊行物記載の発明からの容易推考にある限り及ぶから、上告人が特許庁における再度の審判手続において、本件公知刊行物の補強として当業者の周知事項を新たに主張しても、特許庁は、これを考慮することができなくなる(御庁第三小法廷平成四年四月二八日判決、民集四六巻四号二四五頁)。さらに付言すれば、審決が確定すると、特許法一六七条の規定により、何人も、同一の事実及び同一の証拠に基づく無効主張ができなくなる。

しかし、前述のとおり、原判決は、上告人主張の周知事項を考慮すれば、訂正後の本件第一、第二発明が本件公知刊行物記載の発明に基づいて当業者が容易に発明できたことを暗に認定しているのだから、右の帰結が原判決の意図するものでないことは明らかである。すなわち、本件は、特許法一八一条一項にいう「当該請求を理由があると認めるとき」には該当しなかったものである。したがって、原判決が無効審決を取り消したことが誤りであることは、原判決の認定自体からも明らかであり、原判決には、理由齟齬または法令の解釈の誤りがある。

三 以上は、原判決の理由の記載を形式的に判断する限り、原判決は、本件訂正によって本件無効審決の認定した無効原因が除去されたという判断をしたものと解釈せざるを得ないこと、さらに、この判断について、原判決の拘束力を生ずると解釈せざるを得ないこと、の二点を前提としている。しかし、仮に、無効原因の存否については原判決の拘束力が生じないとしても、本件無効審決を取り消した原判決には、以下に述べるとおり、法令の解釈の誤りがある。

上告人が原審において紛争の早期解決を訴えたのに対して、原判決は、訂正審判の手続に関する特許法の規定の解釈を誤ったと思える説示をしている。この説示部分は、理由不備に関して前に引用したが、問題の所在を明らかにするために、もう一度引用しておく。

「この被告主張の各点は、いずれも本件訂正審判において正に判断されるべき事項であったのであり、仮に被告主張の点が認められるとすれば、当然ながら、本件訂正は認容されるべきではなかったのである。ところが、本件訂正審決(引用略)において、被告主張の容易推考性についての審理が充分にされた形跡は窺われないのであって、被告主張の紛争の解決の遅れる結果が生ずる第一の原因は、ここにあるのである。」

右引用部分において、原判決は、紛争の解決の遅れる結果が生ずる第一の原因は、本件訂正審判において被告(上告人)主張の点が充分に審理されていなかったことを指摘している。しかし、訂正審判は、いわゆる査定系の審判であるから、上告人は当事者とはならない。すなわち、原判決の非難する点について、上告人には何の責任もないのである。むしろ、被上告人こそ、無効審判において訂正請求を怠り、無効審決が出されて後に、訂正審判を請求したのであるから、仮に、原判決指摘のとおり、訂正審判において上告人主張の点が充分審理されていなかったとしても、それによって生ずる不利益を甘受すべき立場にある。

また、原判決は、前述のとおり、訂正審判における「特許出願の際独立して特許を受けることができるもの」という要件の審理に疑問を呈している。しかし、本書面の冒頭で指摘したとおり、平成五年改正特許法の下では、訂正異議も、訂正無効審判も、いずれも廃止されているから、このような実務を改めさせるには、まさに、本件無効審決を維持すべきであったのである。

すなわち、同改正法の下では、訂正審決の違法性は、無効審判において争うことになっている(同法一二三条一項八号)。この改正の趣旨が、訂正審判と無効審判とが並行して進行することによる手続の複雑化を防ぎ、紛争を早期に解決することにあったことは明らかである。一方、本件の場合、すでに無効審決が存在し、無効審決が認定した無効原因が解消されていないので、前記訂正要件が認められない場合である。このような場合、原判決の指摘するような問題点を解決するためには、端的に、無効審決を維持すれば足りる。特許権者は、最初の無効審判と訂正審判と二回の審判の機会をすでに与えられているのであるから、無効審決の取消しによって、特許権者にさらに審判の機会を保障する必要はない。

ところが、原判決によって無効審決が取り消されると、無効原因の存否について原判決の拘束力が及ばないとしても、特許庁はあらためて訂正要件の有無を含む無効原因の存否について審理して審決を下すことになる(特許法一八一条二項)。そして、特許権者は、その審決に不服があれば、再び審決取消訴訟を提起することができ、さらには、その審決取消訴訟の係属中に新たな訂正審判を請求することもできる。こうして、特許権者は、永遠に紛争解決の引き延ばしを図れることになる。このような結果が不当であることは、次のような批判が存在することからも明らかである。

「(平成五年の特許法)改正後は、無効審判係属中に訂正を申し立てれば統一した審理が保障されている。それゆえ、訂正前の権利について無効審判の審理が終結し、無効審決が下されたというのは、特許権者が自己責任に基づいて選択した結果にほかならない。にもかかわらず、早期の紛争解決を犠牲にし、訂正後の権利について再度の審判手続を保障することは、無効審判請求人の立場に比し、特許権者を不当に厚く遇するものである。」(玉井克哉・判例評論四五二号五七頁(判例時報一五七三号二一一頁))

以上のとおりであるから、原判決が無効原因の存否の判断について拘束力を生じないと解釈しても、なお、原判決には、平成五年改正特許法の解釈の誤りがある。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例